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本当の自分の声に出会う倍音ボイスライフ

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あっぱれ!はなこプロデュースの旅立ち

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「はなこ虹の橋に旅立つ」の続編です。
http://voicehana.blog.fc2.com/blog-entry-178.html

はなこに教わったことは沢山あります。
私はいつも猫達に教わってばかりです(笑)

特に晩年、猫は悟った仙人のようになることが多い気がします。

享年17歳のはなこは歴代の猫の中で一番長く生きてくれました。
最初は8歳、次は15歳半でした。

はなこは「生きる」という強い意志を持っているようでした。
ただただ生きる。
生きていることを楽しむ。

具合が悪かったり痛いところがあっても、生きるのが好き♡

辛いから死んだ方がまし、なんて思うのは人間だけですよね。

3年半の闘病生活は私の看護生活でもあり、もちろん心身が消耗してしまうことがありました。
でも苦ではなかった。
「お世話させていただいている」想いがあったんです。

先代の猫達のときは心残りがありました。
充分なことが出来なかった。
よい獣医さんにも巡り会えなかった。

家族としての猫や犬が見せてくれる一生は大きな大きなギフトです。
元気なときだけでなく、だんだん歳をとり、弱り、息を引き取る。
全部、受け止められたらものすごく大きなギフトを受け取ることになります。

先代のときももちろん精一杯のことをしたけれど、後悔が残り、悲しみが癒えるのに時間がかかりました。

はなこには三年半もお世話させていただいた。

そして彼女のすごいところ。
あと1週間あまりと判断した獣医さんの予想を裏切りたった一日で逝ってしまったのです。
お昼は好物のささみを食べていたのに・・・??

はなこが弱ってきていることがわかってから、ずっと祈っていたことがあります。
「はなこの望む状況、場所、時間に安らかに旅立てますように」

その通りになったのだと思います。
天界のサポートが入って。
私としてはもう少し最期一緒にいたかったのですが。

この日、夫が出張で泊まりでした。
夫は
「はなこはあなただけに静かに看取られたかったんじゃないかな。俺、うるさいから(笑)はなこ、死ぬな!とか叫びそうだからな(笑)」

うちに帰ってきたはなこはもうすでに起き上がることが出来ず、痙攣などもしていました。
今夜が峠でしょう、と言われていました。

旅立つ1時間前には静かになり、時々泡を吹いていたので拭き取ってやっていました。
何回目か、ちょっと頭を持ち上げたとき、あれ?というくらいの静かさで息を引き取りました。
私の掌の中で。

口も目も閉ざしてやったはなこは、眠っているようにしか見えない安らかさでした。

土日と私の仕事が入っていたため、荼毘に付すのは4月7日となりました。
これが奇しくも夫の誕生日。

「なんかごめんね」
というと
「いや、旅立ちだからちっともいやじゃないよ」

私は亡くなった晩から4日間、リビングに寝袋ではなこの隣で寝ました。
ずっと一緒に寝ていたのが、ここ半年くらいは頻尿になり、足腰も弱って、それも出来なくなっていたから。
行動範囲がどんどん狭くなっていました。
今度退院出来たら、リビングで一緒に寝る日を作ろうと思っていたのです。


初めて立ち会い葬というのをしました。
これまでなぜ、そうしなかったか。
そうしたセレモニーは重要じゃない、と思っていたのです。

今は、一人で荼毘に付して、お骨を拾うということに向き合えなかったのだと思っています。
夫は風邪で8度以上の熱を押して立ち会いました。

立ち会い葬はおすすめします。

完結するのです。

焼却扉が閉まるのも辛い瞬間ですし、お骨と対面するときも緊張しました。
でもペット版「送り人」の方達はやはりプロ。
とても丁寧な言葉の選び方、扱いで、お骨も綺麗に並べておいてくれました。
それを夫婦で丁寧に手で拾って骨壺に順番に入れていきました。

そうした儀式を通して、やり通したという思いが生まれます。

私は今回は大きなギフトを受け取ることが出来たと思います。
はなこが私の一部となって、私が一回り大きくなったような気がします。

はなこは多くの人に可愛がられました。
撫でてもらい話しかけてもらいました。

動物病院にも恵まれました。
危篤のときは多くの人が遠隔治療をしたり祈ったりしてくれました。

一緒に看護してくれる夫がいました。

はなこは本当に幸せな猫でした。

そして今もきっと幸せです(*^_^*)

虹の橋のたもとで私が行くのを待っていてくれるでしょう。

「虹の橋」のお話は作者不詳のお話で、先に逝ったペット達が楽しく元気に過ごし、飼い主がやってくるのを待っているというお話です。

最後に。
生前はなこを可愛がってくれた皆様。
心にかけてくださった皆様。
動物病院の皆様。
ありがとうございました。

はなこの訃報に接し、あたたかい言葉をかけてくださった皆様。
おかげで私は悲しみをリリースすることが出来ました。
ありがとうございました。

私は一つの卒業を経て、次のステップにジャンプします(^^)

はなこ。

ありがとう♡♡
あなたにはありがとう!しかありません。

最期のプロデュースもあっぱれでしたよ♡

虹の橋で会いましょうね!

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……………………
写真上:これも同時期の好きな写真です。
写真下:M子ちゃんが木彫りで掘ってくれたはなこ。
    永久保存版うちの守り神です♡

| 猫に教わったこと | 02:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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はなこ虹の橋に旅立つ

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私の相棒猫としてヴォイスセラピー*hanaの看板猫として可愛がっていただいていたはなこは、4月3日夜遅く、虹の橋に旅立ちました。

享年推定17歳。

少し長いお話になりますが。
ここではなこの話をさせてください。

はなこは豊島区に住む友人の元からやってきました。
友人宅の猫ちゃんがどこからか連れてきてしまった野良ちゃんです。
愛猫の闘病の末の旅立ちから半年しか経っていなかったので、飼う気はなかったのですが。
「一目会ってみて」と友人が車で連れ歩き、連れてきてしまったのね。
「じゃー1週間くらいなら預かるよ」
と言ったのが始まり。

三ヶ月くらいに見えましたが、獣医さんに半年は経っている、と言われました。
栄養不足で小さかったのね。
ところが、その後ズンズン成長して、大きな猫になりました(^^)

身長もあり、体重も6,5キロくらいありました。

はなこと共に過ごした16年半は元々波乱の多い私の人生の中でも激動の時でした。
自分のことに精一杯な時期もあり、はなこにちゃんと心をかけていられたか。。。
いられなかったことも正直ありました。

でもはなこはずーーっとただそばにいてくた。
帰宅すると、必ず玄関で待っているのです。
どうも帰宅する直前に察するらしい。

眠れない夜ははなこがぽてぽてぽて・・・とやってきて(そんな歩き方のイメージですww)
私の体に体重をぽてっとかける。
私はそれで安心して眠りに入ることが出来る。

面倒みられていたのは私だったかもしれません(笑)

私と母との三人暮らし→私と夫との三人暮らし→私と夫とはなこが8歳の時にきたこむぎとの四人暮らし

二度の引っ越し。

はなこの猫生もなかなか波乱に富んでいました。

彼女はその前半の猫生では私の生徒さんなどに「幻の猫」と言われていました。
人見知りでした。
こむぎがやってきた時には引き籠もりにもなりました。

後半の猫生では生徒さんやクライアントさんに挨拶をしたり、ワークショップのシェアリングに加わるようになりました(笑)

輪になって座っていると、はなこが私の隣に来て座り
「さあ、聞くわよ」
という感じ(^^)

3年半、闘病生活をしました。
便秘(巨大結腸の傾向)、糖尿病、アトピーのような皮膚症状、原因不明の高熱、脳の何らかの異常による身体麻痺、意識不明の重体にも陥りました。
そして、最終的に彼女の命を奪った慢性腎不全。

便秘では部屋の真ん中の巨大便に驚かされ。
糖尿病では、毎日うちでインシュリンを打ち。

意識不明の重体に陥った半年前、あと2〜3時間かも、という宣言にも関わらず、
「このコはまだ逝かない」
と感じ、Facebookで遠隔治療と祈りのお願いをしました。
多くの方が応えてくださり、奇跡的に一命をとりとめ、その日のうちにびくともしなかった体を少しずつ動かせるようになりました。

腎不全は治りません。
人間同様。
2年くらいの間、ずっと家で輸液をしていました。
皮下に点滴針を刺し、体温に温めた体液に近い水分を毎日補給します。

はじめ、ええっ!?そんなこと出来ないっ!
と思いましたが・・・出来るようになるモンですww

三年半に入院4回。
そう、はなこが三年半も闘病生活が出来たのはよい動物病院に巡り会えたからです。

動物好きで経験豊富、入院費など考慮してくれる素晴らしいドクターと動物好きのスタッフ。
大晦日に高熱を発したはなこを大晦日も元旦も看てくれました。
家から徒歩1分。
入院しているときはほぼ毎日面会に行っていました。

最後の入院は2月22日。
そう猫の日でした。

いつもと違ってなかなかよくなる兆候が見られませんでした。
すこ〜しずつ弱っていっていくのがわかりました。

4月3日のお昼頃面会に行くと、差し入れの好物のささみも少ししか食べません。
腎臓が限界に来ている、とドクターに言われました。

もって1週間・・・

うちで看取ることに決め、準備をして夜7時に行くと容態が急変していました。

帰宅しておよそ三時間半後の23時頃、はなこは静かに息を引き取りました。

・・・・続く。


………………………
写真は2年前のまだ結構体重があった頃の写真。
なんだかニッといたずらを企んでいるような顔が好き♡

| 猫に教わったこと | 23:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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猫に教わったこと☆その2



この写真はちょうど2年前のはなこ。
こ〜んなにぷくぷくしてたのにね。

今は三分の一になってしまいました。

入院三回目、今回は長くもう1か月半近くになります。
・・・芳しくありません。

腎臓病はとても悪化している訳ではないのだけど、次々不調が出てきています。
一回はずれた点滴も下痢のため脱水症状がひどくなりまた繋がれてしまいました。

いろいろ考えてしまいます。
退院させた方がいいのかな。
でも、仕事をしている私は家にいないときもあるし。
それはただ「あきらめ」を意味するのかな。

ドクターは「もう少し診させてください」と言うのです。

毎日出来るだけ会いに行っています。
幸い徒歩1分の病院なので。

せつなさ、悲しさに囚われてしまって1週間くらい前に進めずにいました。
私の激動の16年を共にいてくれた相棒だから。

でもね。
はなこはそれでもご飯を食べるのです。
もちろん全部は食べられず半分くらいのようですが。

それでも生きようとしてるんだな

そう気づいたとき私は何をしているんだろう、と思った。

私だって限りある大切な時間、何を無駄にしているんだろう。。。

もう二度と

二度と

時を無駄にはすまいと思った。

はなこに誓って。


出来るだけ沢山、沢山の時間会いに行くよ。
退院して家でもう少し一緒に過ごしたいね。

2013年5月20日

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| 猫に教わったこと | 02:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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猫に教わったこと☆そのままでいい



「大事なことはみーんな猫に教わった」という谷川俊太郎さん訳の絵本がありましたね。

猫との暮らし、もうすでに30年を超え、教わったことはたーーくさん
今年の4月で16歳になるはなこからはとても大切なことを教わりました。

はなこが病気を発症したのは2年前。
帰宅したらリビングの真ん中にでっかいウ◯チ

これが便秘症だったのですね。
当時、はなこは今の倍体重があり巨大結腸という病気になりかけていました。

それから糖尿病、原因不明の熱、腎不全、アトピーなど病気のオンパレード。
二度の入院。

人間でいうと80歳くらいですから、介護しているわけです。

今は治ることのない腎不全がなるべくゆっくりペースになるように家で在宅介護しています。
どんどんおしっこが出て脱水症状になるので皮下注射で水分を補給する。
もう、健康な猫の10倍くらいおしっこをします。

間に合わないないのか、感覚が鈍っているのか、トイレまで行けなくなり、手前で粗相するようになりました。
これが最初のうちはうまく対応できませんでした。
「なんでここで?」「なんで今?」とか思うわけです。
出がけに踏んでしまったりするわけですから。

それが次第に慣れて、粗相を発見したら素早くペットシート小を裏返しにし、よーく吸わせ。
かつアルコールスプレー(作ってあります)でささっと消毒。
終わり!

そこになんの疑問も感情も生まれなくなりました。
自動的に動く。

そしてふと思った。

これが「受け容れる」ということなんだって。

ただそうであることを「受け容れる」

相手が猫だから出来ている。
でも人間だったらどうだろう。。。

こんなことしなけりゃいいのに。
なぜ?
どうにかしてやめてもらえないだろうか?

とか。

様々な場面でジャッジしていないだろうか・・・

私は元々ジャッジの少ない人間です。
昔から人を自分を比べることがなく、ジェラシーとかねたみとかあまり感じたことがない。
自分に自信がある、とかでなく、自分の敵も目標も自分と知っていたから。

でもね。
それでも自分にごくごく近い人にはやってしまうのです。

家族、特にパートナー・・・

こうであればいいのに、ああであればいいのに、と思ってしまう。
思ってしまっていたことに気づかされました。

はなこにね^^

で、すっぱりやめることにした(笑)

とにかく全部「受け容れる」ことにした。

そしたら超ーーーー楽になりました

「受け容れる」

「ありのままを受け容れる」

その大切さをみんな知っていますよね。

でも人間だからなかなか出来ない。

私も頭で理解していたけど、実感出来ていませんでした。

あなたはそのままでいい。

そのままを受け容れる。

それがスタート。

そこから努力したり成長したりするのはその人の責任であって、他の人の責任ではないのね。
相手が変わるように頑張る必要はないんです。
相手が変わるように頑張るって、あなたはそのままじゃダメなのよ、っていうシグナルを出し続けること。
そうすると、相手もジャッジのエネルギーを出し続けます。

それは勝ち負け論争や、どちらが正しいか論争になる。

そして、結局二人とも不幸な気持ちになります。

とりあえず今は私と相方の間にジャッジのエネルギーはありません。
また、出て来ることもあるかもしれませんがww

ジャッジってエネルギーを消耗するんですよ。
ということに気づきました。
こんなことにエネルギーを使っているってアホらしいことです。

全ての人からジャッジのエネルギーがなくなれば確実に世界は平和になります


はなこ、ありがとう

人間として大きな成長をさせてもらいました。

そして・・・天からご褒美をいただきました^^

2013年3月30日

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| 猫に教わったこと | 02:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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老猫との日々


(はなこ日向ぼっこ中)

うちのシニア猫はなこは15歳7か月。
人間でいえばもうすぐ80歳くらいかな。
これまで見送った猫たちの旅立ち年齢は8歳と15歳6か月。
一ヶ月記録更新で〜すヽ(⌒▽⌒)ノ

はなこは昨年から病気のオンパレード。
まず便秘、糖尿病、原因不明の熱。
原因不明の熱プラス脱水症状で昨年の大晦日から三が日、毎日病院通いをしました。

その後、慢性腎不全、アトピーを併発して現在に至っています。
便秘と糖尿病は今は症状が出ていません。

その間ほぼ1か月の入院を二回。
お財布がかる〜〜〜くなりました

今は補液(栄養剤と生理食塩水のようなものを点滴針で注入する)を毎日行ってなんとか脱水を防いでいます。
もちろん飼い主がやるのよ(汗

皮下に点滴針を指す

無理無理
ぜーーーーったい無理でしょ

と思ったけど。

なんとかなるもんです。

15歳半で亡くなったブンタも慢性腎不全でしたが当時は血液検査も時間がかかり(結果1週間待ちとか)
家で補液、などもなく。
ただただ見守るばかりでした

良い時代になりました。
選択肢が広がりました。

慢性腎不全は老猫に多い病気です。
というか、ほとんど慢性腎不全になるようです。

多飲多尿でわかることが多い。

たくさん水を飲みおしっこが異常に多かったら腎不全か糖尿病です。
そのままだと脱水症状になるので水分を補給するわけです。

そのおしっこの量たるや健康な猫の10倍くらいはあろうかと

そしてトイレの近くで粗相をします。

はじめボケたのかと思ったのね。

でも大の方はちゃんとトイレでするのです。

量が多いし感覚も麻痺してるのかもしれません。
今日はついに!!!
私のベッドでしますた

ついにこの日が来たか。。。

洗濯機三回回しました。

と思えば次はちゃんとトイレでしたり。
まだらですね。

猫のトイレは人間のトイレの中に置いてあります。
そのまわりが危険なのでトイレシートを敷きつめて。
ちょっと生徒さんやクライアントさんに申し訳無い状態になっています。

あまり気持ちのいいものではないと思いますが不潔にならないように匂いなどしないように努めています。
どうぞお許しくださいね<(_ _)>


私の激動の15年7か月に付き合ってくれたはなこ。
その間引っ越し3回。
同居人が母から夫に入れ替わり。
さらになんかヘンなヤツ(もう一匹の猫こむぎ)も来たww
この二匹、相性悪く。。。
はなこはしばらく押し入れ引き籠もり猫になったんですよ(笑)

たくさんたくさんギフトをくれました

だからこれから感謝のお返しをしていきます

はなこは歳をとってから性格が変わりました。
まぼろしの猫と言われたほど人見知りだったのが、生徒さんやクライアントさんの前に出てくるようになりました。
皆さんに「可愛いね〜癒されるね〜」っていっぱい言ってもらって

今きっと一番幸せ^^

あまり痛かったり苦しかったりすることがないといいね。

今共にいられることを大切に一緒に日々を過ごそうね



2012年11月24日



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